TUMBLING TEKEDA

January 14, 2012
“趣味はゲーム。親会社のDeNAが運営する携帯ゲーム「怪盗ロワイヤル」は無敵を自任。「野球選手では一番強いと思う。レベルは1000は超えています。(売り上げに)貢献したから選ばれたのかな」”
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December 9, 2011
(via 横浜DeNAベイスターズ - 新チームロゴデザイン決定のお知らせ)
漂うビットマップ感。嫌いじゃない。

(via 横浜DeNAベイスターズ - 新チームロゴデザイン決定のお知らせ)

漂うビットマップ感。嫌いじゃない。

 
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November 21, 2011

-社会人野球という選択肢はなかったのか/

菅野「そういう選択肢も考えましたが、2年という時間になる。いろいろな方が、大学も含めてサポートしてくれるので、それが自分にとっていい選択だと思ったので(浪人)を決めました。」

「ある意味自由が効く1年」菅野一問一答 - ドラフト会議2011ニュース : nikkansports.com

行く行かないは本人の意思だし好きにすればいいと思うけど、浪人中の期間を大学がサポートするのってどうなんだろね。他11球団は東海大から指名ボイコットとか、そのくらい怒っていい気がする。

 
November 19, 2011

2011年11月19日土曜日

ラーメン二郎目黒店です
せっかくの週末があいにくの雨模様。日本シリーズが両チームともドーム球場で良かったです。ソフトバンクは横浜からFAで村田を穫り、阪神は広島から栗原穫り。そんな下請け育成球団制度が見え隠れするストーブリーグです。こんちは清武元GMです。
さてさて毎度急で申し訳ありませんが、臨時休業のお知らせです。本日19日土曜日昼の部、目黒店はお休みさせて頂きます。国民総幸福(GNH)が高い指標を誇るブータンの国王夫妻が来日中で、ラーメン二郎を食してみたいとのご要望があり、赤坂迎賓館まで出向いて参ります。美男美女の国王夫妻に幸せのとどめを刺して参ります。夜は真面目に営業いたします。何卒よろしくお願い致します。

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November 17, 2011
(via ジンジャーの焼きチョコ 30g | 無印良品ネットストア)
これおいしいです
October 28, 2011
プロ野球ドラフト会議2011 抽選箱型BOXティッシュ/700円

プロ野球ドラフト会議2011 抽選箱型BOXティッシュ/700円

 
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October 26, 2011
(via ナタリー - ももクロならぬ「グレクロ」四角いジャングルで毒霧噴射)
ラウドパークに引き続き本気すぎる高城れにすごい

(via ナタリー - ももクロならぬ「グレクロ」四角いジャングルで毒霧噴射)

ラウドパークに引き続き本気すぎる高城れにすごい

 
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October 23, 2011

 9月1日にTBSのテレビ番組収録に臨んだ際には「勇気あるオーナーがいるなら、1年だけ監督をやりたい」と監督就任に意欲を見せていた。テレビの視聴者を意識してか、采配についても持論を展開。(1)メールアドレスを教えて『出してくれ』という選手を使う(2)直前10試合の打率がいい順に1番から並べる(3)たとえ4打数1安打でも打点を重視する-など、新庄氏ならではの奇抜なアイデアを披露した。

 指揮をとってみたいチームについては「弱い球団のほうがおもしろい」としており、まさに4年連続最下位の横浜に合致している。

October 21, 2011

~ 本日 (10月21日)の出場選手登録異動公示 ~

出場選手登録
 横浜ベイスターズ   投  手   22   高崎 健太郎


出場選手登録抹消
 中日ドラゴンズ     投  手   16   小川 龍也
 中日ドラゴンズ     投  手   17   川井 雄太
 中日ドラゴンズ     投  手   19   吉見 一起
 中日ドラゴンズ     投  手   21   チェン
 中日ドラゴンズ     投  手   29   山井 大介
 中日ドラゴンズ     投  手   59   矢地 健人
 中日ドラゴンズ     投  手   61   久本 祐一
 中日ドラゴンズ     投  手   64   小熊 凌祐
 中日ドラゴンズ     投  手   67   高橋 聡文
 中日ドラゴンズ     投  手   69   小林 正人
 中日ドラゴンズ     捕  手   27   谷繁 元信
 中日ドラゴンズ     捕  手   47   松井 雅人
 中日ドラゴンズ     捕  手   52   小田 幸平
 中日ドラゴンズ     捕  手   65   小山 桂司
 中日ドラゴンズ     内野手    1   堂上 直倫
 中日ドラゴンズ     内野手    2   荒木 雅博
 中日ドラゴンズ     内野手    6   井端 弘和
 中日ドラゴンズ     内野手    7   佐伯 貴弘
 中日ドラゴンズ     内野手   30   森野 将彦
 中日ドラゴンズ     内野手   36   谷 哲也
 中日ドラゴンズ     内野手   46   岩崎 達郎
 中日ドラゴンズ     内野手   55   福田 永将
 中日ドラゴンズ     外野手    5   和田 一浩
 中日ドラゴンズ     外野手    8   大島 洋平
 中日ドラゴンズ     外野手   24   英  智
 中日ドラゴンズ     外野手   40   平田 良介
 中日ドラゴンズ     外野手   44   小池 正晃
 中日ドラゴンズ     外野手   63   堂上 剛裕


  10月31日以後でなければ、出場選手の再登録はできません。

October 19, 2011
“おまえらは球団のために戦うんじゃない。自分の生活のために戦うんだ。自分を守るのは自分”ってな。“監督はチームを勝たすために契約してるんだから、勝ち負けの責任は取る。でも、成績の良い、悪いは自分の責任だ。責任転嫁するなよ。契約社会ってのはそういうもんだ。一生野球やれると思うな”と。その意味がやっと分かったんじゃないか”
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October 19, 2011

落合監督&信子夫人“ぶっちゃけ対談”大逆転Vの裏側「全てはそこから」

 おしどり夫婦がスポニチで全てをぶっちゃけた!球団史上初のリーグ連覇で「男の花道」を飾った落合博満監督(57)と、選手時代から夫を支えてきた信子夫人(67)との特別対談が実現。監督就任8年間の思い出、電撃退任発表の裏側、落合竜の原点…。夫婦ならではの掛け合いで、普段は寡黙な指揮官が本音を語った。

 ――大逆転でのリーグ連覇。ターニングポイントは?

 博満 「全ては…。まあ、この際だから、言っちゃうけども“オレらが勝ってもらっちゃ困る”と思っていた球団幹部が、9月の巨人戦でウチが負けた時にガッツポーズしてからなんだ。全てはそこから始まった」

 信子 「そうなんだよね。みんなそれで逆にやる気を出したんじゃない」

 博満 「そういう噂はすぐに広がるからな。選手は“なんだオレら、勝っちゃいけないのかよ。何のためにやってきたんだよ”となる。“オレらをバカにすんなよ”ってのが一番の火付け役になった。そこに9月22日の(退任)発表が重なったんだ」

 信子 「あそこから一気に勢いがついたもんね」

 博満 「監督、コーチの間では3月の時点で“オレら今年で終わりだよな”って言ってたの。“だったら、勝って格好良く辞めてやろうじゃねえか”ってね。そういう機運が高まっていたのは事実なんだ。それが決定的になったのが9月22日だったってだけのこと」

 ――その9月22日。電撃退任発表の裏側は?

 博満 「オレは選手には一切何も言っていない。コーチには今後のこともあるから言ったけどな。でも、球団が選手に伝えるというから“それはやめてくれ”と言ったんだ。ヤクルトとの4連戦の前に“監督が来年契約しない”なんて、そんな説明はいらない。野球に集中させてくれとね」

 信子 「球団は“監督から選手に言ってください”と言ってきた。でも、“今することじゃない”と断ったんだよね」

 博満 「オレは来年契約しないのは構わない。その日に“きょう発表する”と言われたのも構わないの。でも、なんでその日の夕刊(中日新聞)に載ったのか。オレにすりゃ“何それ”ってことだ」

 信子 「当事者の意見を聞く前に記事ができてたってことだもんね」

 ――発表後に破竹の快進撃。

 博満 「あれから試合後の会見を一言、二言で終わらせてきただろ。だってオレは来年指揮を執らない。もし、執るのであれば言いたいこともある。でも執らないんだから、もう自由にやらせるのがベストなんだろうと思った。あとは選手が自分で考えて好きにやってくれればいい。そしたら、勝ち続けたもんな。“凄いな”と思った。オレがあの時、選手を集めて何か言ったら、ここまではならなかっただろ」

 信子 「逆に、おセンチになっちゃってたかもしれないもんね」

 博満 「結局、みんな勝つためにやってんだ。そうしなきゃ、幸せになれない。勝ちたいんだよ」

 信子 「“負けてもいいから経営再建”って記事も読んだけど、矛盾しているよね。だって、監督の契約書には“優勝を目指して仕事してくれ”って書いてあるんだから」

 ――選手の成長を実感したシーズンだったのでは。

 博満 「オレはあんまり選手を褒めたことないけどね、9月以降の選手の動きを見たら“やっぱりこいつら成長したんだな”と思うよ。ある意味、精神的に強くなっているんだろうな。それが後半の戦いに出ている。“この選手はこんなに成長したんだ”と見るのが楽しかったもん。体力も何もなかったヤツらが、今じゃ体力だけはどこにも負けないものがあるじゃん」

 信子 「この追い込みは凄いもんね」

 博満 「成長している。これからも成長し続けると思う。やっと04年の1月31日にオレが言ったことを理解し始めたんじゃないか」

 信子 「あんた、何を言ったの?」

 博満 「“おまえらは球団のために戦うんじゃない。自分の生活のために戦うんだ。自分を守るのは自分”ってな。“監督はチームを勝たすために契約してるんだから、勝ち負けの責任は取る。でも、成績の良い、悪いは自分の責任だ。責任転嫁するなよ。契約社会ってのはそういうもんだ。一生野球やれると思うな”と。その意味がやっと分かったんじゃないか」

 信子 「私も開幕の時にあんたに“今年で契約終わりだから首洗って待ってなよ”と言ったよね。あんたはギョッとした顔してたけど」

 博満 「いや、オレは去年のハワイの優勝旅行の時に勘づいていたよ」

――退任が決まってからの心境は。

 博満 「今はスッキリしているよ。だって、他のことやらなくていいんだもん。目の前の勝ち負け、どうやって優勝させるかだけ。オレが監督になった時は“現場のことは一切おまえがやれ”と言われたんだ。ドラフトから編成からな」

 信子 「(白井文吾)オーナーが全面的にバックアップしてくれると言ったからね」

 博満 「だから、こんな楽なことはない。背負ってた荷物が3つも4つもオレの背中からなくなったようなもん。今の戦いにだけ集中すればいい」

 信子 「改革ってことで呼ばれたんだもんね。勝てるチームにしてくれと」

 博満 「そう。当初の約束ってのは十分果たせたとオレは思っているよ」

 ――8年間の集大成ともいえる終盤戦の強さ。

 博満 「こんなにもたくましい姿はオレの想定外。凄いよ。本当に“すげーな、こいつら”と思うもん」

 信子 「大将が“来季はない”って言われて、“うわっ、結果出さなきゃ”となったんでしょ」

 博満 「普通は逆になるんだけどな。反発したんだろ。オレは試合前に“きょうはこういうゲームになる”とシミュレーションしていくんだけどオレの予想をみんな覆していくもん。良い方に」

 信子 「だから(9月24日のヤクルト戦でサヨナラ打を放った)谷繁さんの頭をなでなでしちゃったんだね。普段は無表情で握手だけなのに」

――原点は就任1年目、04年春季キャンプ初日の紅白戦では。

 博満 「最初は8年もやるなんて思ってなかった。2年契約と言われて、“それじゃ何も変えられません”と3年にしてもらった。その3年の中でどうやって勝てるチームにするかしか考えてなかったよ。でも、初めて秋季練習(03年)見たとき“ああ、こいつら練習してないんだ”と思った。だから“2月1日には紅白戦ができるようにしてこいよ”と言ったんだ。全ての始まりはそこからだ」

 信子 「みんなが指揮官の気迫に乗っかったんでしょ。やらなきゃ取り残されるってね」

 博満 「オレも驚かされたけどね。2月1日に140何キロの球を放るとは思ってもいなかった。でも、原点はそこだよ」

 信子 「キャンプでもみんな練習したよね」

 博満 「“中日のキャンプってのはバッティングセンターか?”とよく言われたよ。振れないんだから、振らなきゃしようがないだろ。でも、結局はその積み重ねなんだ。だから“これだけ練習したんだから負けたくねえ”となる。それが最後に心の支えになるんだ。昔から、練習はウソをつかない、というのはそういうことだと思うよ」

 ――選手のことは決して悪く言わなかった。

 博満 「これは8年間、守った。オレが選手の時、外にいろいろ書かれて嫌な思いをしたからな。これは選手との約束。周りは不思議でしようがないみたいだけどな」

 信子 「選手の成長を見守ってたもんね。愛情をかけてきた結果がこの連覇だと思う」

 博満 「選手には“オレを抜いたら褒めてやる”と言っていた。つまり“一生褒められることはないよ”ってことだ。ハッハッハッ。でも、今回は褒めてやる。素晴らしい!」

 ――選手はこの8年間で勝利と敗北の両方を知った。

 博満 「とにかく、チームを強くする、結果を出すというオーナーとの最初の約束は、自分なりに果たせたと思う」

 信子 「そうよ。今度、あんたがオーナーに頭をなでてもらいなよ」

 博満 「選手に負ける悔しさと、勝つ喜びを両方味わってもらえたってのが一番。負ける悔しさも嫌ってほど味わってもらった。でも、勝たなきゃ悔しさは出てこないんだ。8年のうち4回優勝したけど、4回は逃した。その悔しさがあるから、喜びは倍増する。喜びがあるからこそ悔しさも分かる。ウチは両方味わっているから。これは彼らの将来にとって物凄くプラスになる。指導者になったにしてもな」」

 ――4連覇もできたとの思いが。

 博満 「一番強かったのは06年。これは強かった。07年も、無理すれば優勝できたと今でも思う。ただ、この年はCS初年度で、何が何だかよく分からなかった。“ここでムチ打って、失敗したら何にもならねえな”と思ってしまった。その制度の最初の年ってのはやっぱりまごつく。05年も交流戦元年だろ。交流戦がなかったら05年も勝ってるよ。04、05、06、07年と4連覇してたんじゃねえか。でも、やっぱり06年が一番強かった。だから日本シリーズで日本ハムに負けるとは思わなかった。逆に07年はハムに負けると思ったんだけどな」

 信子 「不思議なもんね」

 博満 「絶対的戦力があるから勝てるって保証はない。ある程度、心配事があって慎重に入った方が、勝ち運はあるのかも分かんない。今までのオレはそうだもん。この前の4連戦(10~13日、ヤクルトに4連勝)なんて心配で、心配で。何とか吉見は勝てるかなってぐらいで、残りはどうなるかって思ってたよ」

 ――最後まで信子夫人と二人三脚。

 信子 「当初、監督をやるのにOKを出したのは私だから。球場には行ける限り行った。まあ、聞き手だよね。いろいろストレスもあるだろうしね」

 博満 「息子(福嗣さん)も大きくなったし、嫁ももらったしな。そうじゃなきゃこんなに来られなかった。オレは仕事人間だから、他のことを一手に引き受けてくれた」

 信子 「正反対だからね。私は何もないところから“こうしよう、ああしよう”と、思ったことをすぐ実行するタイプだけど。あなたは与えられたことをキチッと理詰めでやるタイプだからね」

 博満 「ちょうどかみ合ってるんじゃないの。まぁこれからは“おまえ、何がしたい?じゃあそれしようか”というふうになるだろうさ」